久しぶりに自分の仕事について書いてみます。

仕事は利用者の日常生活支援がメインで、ご飯を食べさせたり、お風呂に入れたり、他にも地域へのお出かけの時の先導役などをやったりしています。施設内でも、店屋物の聞き取りをして、決まった日にみんなで食べるなどをやっています。

こういった地域に出るないしは地域とつながるといった取り組みはノーマライゼーションの観点に基づくもので、できるだけ一般人と同じものを食べ、買い、できるだけ健常者と変わらないような生活を送れるようにするためのものです。

ノーマライゼーションという考え方は、ともすると「障害者が一般人と同じようになるように訓練する」(同化させる)と受け取られてしまうようですが、本来的には「障害があるままの状態でも、(支援を受けることによって)一般人と変わらない快適で楽しい生活を送れるようにする」ということです。

ノーマライゼーションという考えはアメリカの公民権運動と並行して広がった考えで、当時の障害者施設が監禁・収容と言ってもいいほど劣悪な環境に障害者を置いていたことから、「施設は虐待、隠ぺいの元」ということで大きな反施設運動が起き、「重い障害があっても地域で暮らせるように支援のかたちを改善していこう」という動きになったようです。

もちろん、買い物や選択ができるようにするための訓練をする、ということはあり得ますが、その最終目標は単なるスキル獲得ではなく、地域社会での生活(ないしは地域社会とつながった生活)を楽しく送れるようにすることにあるわけです。

自分がいる施設では、状態が悪くてご機嫌斜めになっている利用者でも、買い物や店屋物があると聞くと「ねえねえ、次はいつなの!?」「早く食べたーい!メニュー表もってきてよ!」といってくるので、本当に楽しみなんだなあ、と思っています。

こういう姿を見ると、施設という空間の中で、物や人の接触手段が限られているからこそ、こんなに嬉しく感じるんだろうな。と思います。

これが「こんなのいつもやってるよ!もっと他にないの?」と利用者が言ってくれることがより人権的になった状態なんだろうな、と思います。

単なる業務として行うのではなく、こうした人権擁護の理論的裏付けがあるということをよく考えておこうと思います。

こうして、自分の仕事ぶりと、その仕事の裏付けとなっている理論や文化を再帰的に分析するのもいいものだと思いました。


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